藤井達吉は、明治14年(1881)6月6日、藤井忠三郎の三男として愛知県碧南市碧海郡字棚尾村源氏42番地(現・碧南市棚尾町)に生まれる。
達吉が小学校へ通ったのは明治21年から25年にかけての4年間。第八学区棚尾尋常小学校である。
当時の小学校は聖徳太子作と伝えられる毘沙門像を祀るお堂のあるところから「毘沙門さま」の名前で親しまれていた妙福寺だった。
棚尾小学校創立の地
● 棚尾小学校
棚尾小学校は明治6年(1873)に妙福寺境内で開校した。明治34年(1901)に今の春日町へ移転するまでの28年間棚尾村の文教の中心であった。当時の棚尾小学校は60名程の児童が庫裏と別棟に分かれて授業を受け、子ども達は庫裏を「古学校」別棟を「本学校」と呼んでいた。別棟の場所は今の水屋の位置であった。
● 寺子屋時代
棚尾の寺小屋
教 師 | 開 設 期 間 |
尼僧 神谷れい | 万延元年(1860)~文久2年(1862) |
安専寺僧侶 安藤円順 | 文久元年(1861)~明治5年(1872) |
光輪寺僧侶 高木賢立 | 嘉永2年(1849)~明治5年(1872) |
農業 斎藤和三郎 | 嘉永3年(1850)~明治元年(1868) |
農業 榊原七兵衛 | 安政4年(1857)~明治元年(1868) |
妙福寺僧侶 佐野良契 | 明治元年(1868)~明治4年(1871) |
● 棚尾保育園の開設
碧南市に移行後、昭和24年2月に棚尾保育園が妙福寺本堂で開設された。昭和26年8月に現在地の汐田町に園舎が完成し移転した。
● 鶏頭忌
藤井達吉調査隊の主催で藤井達吉を偲ぶ法要の鶏頭忌が、達吉の命日である8月27日の前の土曜日又は日曜日に執り行われる。平成13年(2001)8月18日に第1回が開催され、現在に続いている。